みやかわ漢方薬局は、とくに女性のための漢方をめざしてしています。診察室併設。女性スタッフ対応。東川口駅徒歩2分

漢方薬局・温灸院のみやかわ漢方堂

■みやかわ温灸院 院長のブログ

過去の記事はこちらから→「鶯谷書院

本末転倒

 お釈迦さまの教えが、大乗仏教と上座部仏教にわかれ、大乗仏教が中国仏教に発展し、中国仏教が日本仏教に伝えられました。移動の間に、本来性が薄れ、いろいろなおまけがついて、日本に滞在している間にも、いろいろな俗習が加味されました。

 仏壇のお作法、お葬式のルール、お焼香のやりかた、お墓の立て方、お布施の額、これらのことをいくら突き詰めたところで、お釈迦さまの教えに到達しないのですが、私たちは、これが仏教の一面だと思っています。アメリカでは、人口の1パーセントが仏教徒といわれ、仏壇も、お墓とは無関係に、仏教の教えに目覚めることを求めています。

 私たちが思っている仏教は、本末転倒しているのが明らかです。こうしたことは、鍼灸業界も同じで、鍼の意義、灸の役割をきちんと理解しないで、補法はどう、瀉法はどうと、無用な時間つぶしが昭和から平成にかけて行われてきました。長い時間をかけても、結論はでませんでした。つまり、末をいくら突き詰めても、本に到達しないのです。

 いい加減に、目覚めなければ。とつくづく思った、先週の日曜・月曜でした。

 私たちの医療の本質は、未病治療です。出てくる病気の対処法を探し求めるのは、近代医学とおなじことですから、本質とはいえないでしょう。道具が鍼と灸というのがちがうだけです。

 養生をきっちりやらないとなあ、と目覚めました。

 

来世の養生

 8月に久留米で死生観を話しして、気が付いたのですが・・・

 今までは、養生は、現世だけを考えてました。が、もし、来世があるとすれば、来世に向かった現世の養生があってもいいのです。来世のための現世だとすれば、どのように生きていくか、そのためにはどのような養生がふさわしいのか、考えなければならないかと。深慮しています。

 来世はあるのでしょうか。それはあの世でしょうか。極楽浄土でしょうか。いずれもないのでしょうか。

 儒教では、あの世は、子孫を見守る善鬼として存在するとみなしています。したがって、現世では、その祖先の霊魂を大切にまつります。結局は、親に尽くし、子供を産み育て、祖先の霊魂を篤く祀る、そのための人生なのだといえます。その上で、養生が形成されるのです。

 遺伝子レベルでいえば、あの世は、子孫の肉体として、存在します。自分も、前世の両親の遺伝子を受け継いでいますから、前世、現世、来世は、存在するといえます。

 こんな風に、現世の自分だけの養生と思っていたら、来世に向けての養生という発想も必要ではないかと思い始めました。

 養生=何かをする という図式は、もはや幼稚にすぎるかも。



ライターこだわり

 お灸をする先生のライターこだわり。
 9月15日は、大宮で、越石まつえ先生。使い捨てライターは、子供が誤用しないようにと、火をつけるのに指の力が余計に必要になったので、越石先生は、改良される前のを大量に買い付けたそう。死ぬまでの分だそうです。

 9月16日は、杉山神社で、藤井正道先生。先生は棒灸を多用するので、たーぼライターを使用しているとのこと。太い棒灸だと、ガスボンベ+バーナーを使うとのこと。

 僕は、BIC(フランス)の、使い捨てライターを使っています。
 少し高いけど、
 着火が安定している
 *品質が悪いと、突然、着火しなくなり、ちょっとイラっと。 
 ボディは着色されているのでガスが見えない
 *品質が悪いと、残り半分で、着火しなくなる。少しイラっと。
 *BICは、見えない分、イラっとしない。

 こんな理由で、BICにしています。
 お灸の先生には、またお線香のこだわりもあるでしょう。いつか、お聞きしたいものです。

『論語』と無心

 森共之の「意仲玄奥」に、無心に鍼を刺すことが極意であるようなことが書かれている。その無心を追いかけているが、仏教の無心、老子の無心とあり、どうも孔子にも無心があるよう。現時点では、以下のように分けています。

 仏教の無心は、徹底的な無心
 老子の無心は、意図的でないさま
 孔子の無心は、私心がないこと

 仏教の無心は、出家を条件として、究極的。『論語』に無心とは書いていないけど、行間を読むと書いてある。老子の無心は、両方を兼ねているような気がします。なので、老子と孔子は似ているし、老子と仏教も似ているところがあるわけです。

 孔子は、仁(思いやり)を提唱するのですが、無私の裏付けがないと、仁は実行されません。わかっているけど、行動に移せない。行動が伴わないのは、孔子が批難するところ。

 『論語』雍也篇で、孔子が冉求に対して、「なんじは、かぎれり」と言ったところは、冉求ができないと言ったことを指弾しているのですが、線引きすることが私心に相当します。ここでは、できる・できないの線引きです。線引きして、行動に移さないことを、指弾しています。

 私心、無私という下地で『論語』を読むと、真意をよくくみ取れるのです。



『霊枢』を読んで

 会で、『霊枢』を担当するようになったのは、島田先生没後の2001年4月からです。そこから読み始め、第79篇が終わりました。現在は、成立をイメージしながら読んでいます。

 池田知久先生は、『老子』は、最初からあった篇、あとで追加した篇、最終的に追加した篇の、3ステップに分けています。そうしないと、篇ごとに主張が微妙にことなるので、解釈にこまり、場合によってはこじつけするようになります。沢庵は1章から81章まで通貫しているとみなしていますが、どうもそうではないようです。

 たとえば、『霊枢』経脈篇の冒頭で『霊枢』禁服篇を引用しているので、禁服篇が古く経脈篇が新しい、と黄龍祥は言うのだけど、冒頭部分はあとからつけた序文だとみなせば、黄龍祥の説はうたがわしくなる。そういう意味では、経脈篇の中の段落上の新旧を、確定させたいところでもあります。今までの注釈は、篇の新旧のみならず、段落の新旧について言及していないので、今後の課題として需要になると思われます。19年間読んでみて、思ったことでした。
 




ページ先頭へ▲

〒333-0802 埼玉県川口市戸塚東1-1-32 みやかわ漢方薬局・みやかわ温灸院
TEL:048.295.3211(代表) FAX:048.295.3029