江戸後期Ⅰ収録
『鍼法弁惑』
メモ
著者:藤井秀孟
成立:明和2年(1765)自序
出版:明和5年(1768)刊
所蔵:京大富士川文庫(シ/625)
参考
著者については詳しいことはわからないが、森秀太郎編の『鍼灸医学辞典』(医道の日本社刊)に「藤井式小児鍼」という項目がある藤井秀二(1884~1981)の祖先である。秀孟から数えて7代目という。「弁惑」は『論語』に由来し(『論語』の語も頻出)、『霊枢』もよく読んでいるので、とても学問がある人である。
藤井秀二が寄稿したのが「知っておいてよい坐右の格言」(『医道の日本』35巻12号、1976)で 「鍼灸医業は人格者によってのみ資格を与えられるべきものなり。」という。翌年、治療院を訪問したときの記録が「藤井秀二博士訪問記」(『医道の日本』36巻4号、1977)がある。
小児鍼では、長野仁・高岡裕「小児鍼の起源について」(『日本医史学雑誌』56巻3号、2010)がとても詳しい。
ところで、初代は小児鍼はやっていない。強めの刺激で単刺し、手技を行わず、直に抜くだけである。その刺法は『霊枢』からヒントを得ているようだ。毫鍼の他、鋒鍼、円利鍼も多用するという。
「刺して賊邪を駆り、癥癖を去るが瀉なり。邪気を駆り去れば正気の回復するが補なり」というのが藤井の治療の核心で(これは『鍼灸則』もおなじ)、あくまでも「邪気が病気を造っている」という考えにもとづき、万病一毒説といっても良いかもしれない。ゆえに、藤井も古方派に属する。
『霊枢』九針十二原に「蚊虻の喙の如し」を「鍼はただ刺すべくして、揺(うごか)すまじき」と解釈した箇所があるのだが、神妙の境に入った人の解釈だと思う。毫鍼を直刺直抜するのは、中国の名家の張士傑先生を思い出す(10回くらい治療してもらった)。張先生は原穴だけに直刺直抜する鍼法で、万病に対処していたのだから、豪快という他ない。
目次
自叙(藤井秀孟)
鍼法弁惑巻之上篇目
鍼法弁惑巻之中篇目
鍼法弁惑巻之下篇目
鍼法弁惑巻之上
建門論
刺法論
鉄鍼論
当詳病源論
刺法浅深論
補瀉迎随論
左右先後論
大過不及論
繆刺巨刺論
刺法名義論
鍼法弁惑巻之中
逆従論
肉著鉄鋩論
鍼傷元気論
刺禁論
総論
附録
鍼式
下鍼用管
鍼以取血為主
刺畢鍼痏突起及四圍色変紫黒
誤刺将死
鍼法弁惑巻之下
病門
傷寒
中風
瘧疾
噎症
水病
狂
大小便秘
目疾諸症
眩暈
口鼻出血
落架風
蛀牙
息肉
喉痺
瘰癧
転筋
気絶不蘇
婦人産前産後諸病
乳病
小児驚風
金瘡趺撲血流不止
縊
溺
妖精著人
諸獣諸蟲咬螫所傷